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2009年5月

"ERECTRIC VEHICLE" (←下ネタ)

プリウスVSインサイト、白熱してきましたねぇ。

俺が「ハイブリッド車を絶対買わなそうな人間」だというのは
皆さん重々ご承知かと思いますが(笑)、
クライスラーがブッつぶれ、GMもピサの斜塔みたいになってる昨今、
そして新世代電気自動車TESLAなど
注目を浴びまくっている昨今、車好きとしては無視できません。

アルファ・ロメオの電気自動車なんて想像しただけで身の毛もよだつけど(笑)
クリーン・ディーゼルにはもう取り組んでいるしね(相当荒っぽい出来栄えらしい笑)。

この「トヨタプリウス絶好調!」のニュースはやっぱり嬉しい。

「経済性」と「環境性能」のハイブリッドは成長しつつあるが・・
ここに「パッション」や「情熱」もハイブリッドしてもらえるとありがたいな。
トヨタにはそういうのは期待しないがホンダには期待している。

俺の基準は人知を超えたパワー
(軽自動車のパワーでも人をミンチに出来るという事実)
を認識できるだけの「ダイレクト性」であって
乗り心地やイージーさではないので(経済性は考えるけど)。
経済性や利便性ばかりを追い求める人はよく事故るし運転が下手な人が多い。
個人的には運転免許は司法試験並の難関でもかまわない。道が空くし事故も減る(笑)
そこらのねーちゃんが馬100頭分の馬力(=仕事率)を乗り回してるご時勢で。
その認識の欠如で年間5,155人('08)も死ぬんだってば。

同じ考えの人はいっぱいいると思う。
技術が進むほど”車”に対する認識が変化して
運転が下手な人にとっては怖いものでしかない”ダイレクト性”は
当然ながら一番最初に葬られてしまう。
エンジン音も振動も消え何もかもオートマティックになっていく。
車のパワーは上がっていくのにパワーに対する恐怖は失われていく。
大衆はアホだから対衝突性能が上がれば恐怖を忘れちまう。
アタマで考えて、改善することを止めちまう。
何度でも言うけどシートベルトしないやつは死んで当然だ。

これは俺のプライドの闘いだ。俺はオマイラと違って「入園前」から車が好きなんだ。
俺が事故で死んだら、腹痛くなるまで笑ってもらって結構。フン。

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社長接待スペシャリスト認定試験合格

社長(=神)が広島本社から年に2回やってくる。
当然リーマン生命を掛けて接待をするのだがまたそれが難しく
社長の態度で「成功」と「失敗」に明確に分類が可能。
新潟営業所は負けがこんでたらしい(笑)。
そりゃそうだ。なぜか全員蝋人形みたいになりやがって
つまらん話ばっかりして「シーン。」が毎回基本の雰囲気じゃなぁ。
社長が怖くてロッカーが務まるか野菜どもが!!
ザ・AB型の俺の前で「合理的じゃない」その態度は許さんぞ先輩どもが。
社長がナンボのもんじゃい。見せてくれるわ!!リーマン魂を!!

上司:「しゃ・・社長。広島の球場もマツダがスポンサーになったそうですね(堅)」
(社長は広島の人)

「う~んマツダもねぇ、昔はいい車たくさん作ってたけどねぇ。
ピニンファリーナがデザインしたロータリークーペとか。」

一同「シーン・・(何のこと!?)」

俺:「あぁ、ルーチェロータリークーペですね!
あの時代にパワステ付きでスーパーデラックスなんかは
当時GT-Rなんかより高かったって聞いたことがありますよ。
あれもピニンファリーナ(イタリアのデザイン工房)でしたかぁ・・!
(違う。ベルトーネ所属時代のジウジアーロのデザイン。)」

「そうそう!あの当時ベレGとか117クーペとかあってねぇ」

一同:「ポカ~ン(ベレジー!?ピニン・・何ソレ!?)」

俺:「ベレッタ1600GT、かっこいいですよねぇ。
私の頃はもう117よりピアッツァでしたけども・・・
今の時代だと望むべくもないデザインでしょうかね。
デザインとか機能で外部の血を入れようというのはスゴイ決断でしたでしょうねぇ」

「いやまったく。ウチのパンフレットもルーペ使わなきゃ読めんようなのを
作りおってデザイン力ってものを最近良く考えるよ。」

一同:「おっ、おっしゃる通りです!!社長!!」

大皿ダメ。ポストハーベスト農薬の可能性あるオレンジなどダメ。
安っぽい店ダメ。前回と同じ店だめ。地産の食材じゃないものダメ。
タクシー見えなくなるまで見送らなきゃダメ。
魚に関して舌も肥えていて知識も豊富。
ヘボい店連れて行くと機嫌悪くなる。

なんか気難し屋の社長で来る度に超ピリピリするんだが
俺はなぜか気が合う部分があるらしく半ば独壇場。
イギリス英語のエモーションがどうとか、トルコは親日的だとか、
元医者なので面白い話いっぱい持ってるから面白い。
博識な変人は俺の最も得意とする人物像なのだ。
一次会は旨い日本酒と懐石料理、ベタだがコレは要る。
俺が担当した二次会はワインとブルーチーズ。
オオ、食ってる食ってる(笑)。今日はいい仕事した(笑)

タクシー見送って終了後「み・・み・・水ください・・・」って
ぐったりしてたら「よくやってくれた・・今後は全て君に任せる」と
社長接待係に任命されました。

オマイラ営業上手いのに社長にはなぜ営業できんのだ・・・
成し遂げたせいで仕事増えました。ハァ・・・。
なんか15時間くらい寝たいっす(哀)

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「伝説のスタック」シリーズついに完結!!

随分まえにYOUTUBEにUPしつつ途中で止まっていた
1年半前に私が起こした大事件、「伝説のスタック」
ドキュメンタリーを完成させましたのでヒマな人はどーぞ。
コメントはほとんど無いが評価だけはやけに高い貴重な動画です(笑)
そして今の車に乗り換えた経緯とも言える事件ですので、記録しておきます。
雪の降る地域では日常茶飯事のスタックも
「スケール大きく」やってのけた私の活躍をご覧ください。

第一話「チクショー!!」

第二話「悲すぃですねぇ」

第三話「豪華絢爛」

第四話「真っ黒」

第五話「春まで・・」

第六話「謎は深まるばかり」

第七話「移動パチンコ屋かと。」

第八話「なかなかの大騒ぎ」

第九話「モーゼのように」

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歌詞概論

男の書いた詞と女の書いた詞、なんでこんなに違うんだろう??
と思って考えた脳内スパイラルをまとめてみましたので暇な方はどうぞ。
(今回のは近代ブログ史に残るほどの長文ですのでご注意を笑)

常日ごろから、女性の書く詞(詩ではなく、歌詞)は、
男の自分からすると主題が明確でない、
サビに至ってまでAメロと同じような情景描写を続けている
ようなものが多い、という印象があって、気になっていた。
女性と接する度に思考回路の違いを感じることも多い。
自分はそういう詞は書かない。その違いはどこからくるのだろうか。

一つ考えられる仮説として、
「男女の情報処理のアルゴリズムの違い」というのが浮かんだ。
表現行為を一種のコンピュータープログラムに置き換えた場合、
多くの女性の脳内は一直線のシンプルなアルゴリズムである。
一つずつの情報を一つずつ処理するということだ。
「私はね、あなたに意見を求めているんじゃないの。
ただ同意が欲しいだけなの!」というのは
この女性の一直線な思考回路(ステレオタイプで申し訳ないが)を
端的に表現したものであって、
1回目のAメロからBメロ、サビ、間奏、AB、サビ、サビという
流れの中で前から後ろへ一直線に展開するという
書き方が自然と出てくるのではないだろうか。

一方で、一般的な男性の情報処理方法(行動原理)は、
「最終目的=主題」を中心に据えたものであり、曲や詞で言えば
AメロやBメロは「最終目的に至るための前フリ」として
明確に役割分担されているものが多い。
いわば「主題繰り返しのアルゴリズム」である。
男性のロック・ミュージックがやけに明確なメッセージ性や
確固たるイデオロギーを持っていること、
さらにその明確なイデオロギーを繰り返し主張することで
最終的な主題一つを明確に伝えようとしていることは顕著である。
これは雄ライオンのたてがみやクジャクの羽のようなもので
一個のイデオロギーを掲げるという行為はオスが本来持つ
闘争本能の顕現のようなものだとも考えられる。
男性的な表現とは、シンプルな半完成イデオロギーの放出と言ってよい。

わかりやすく「桃太郎」を例にとってみよう。
主題はもちろん「勧善懲悪」である。
まずは「女性的直線アルゴリズム」を使って曲の構成をする。
Aメロ1:爺さんと婆さんが住んでいて芝刈りと洗濯にいった。
Bメロ1:川上から桃がドンブラコと流れてきたので持ち帰った。
Aメロ2:桃を切ったら中から男の子が出てきたので「桃太郎」と名づけた。
Bメロ2:桃太郎はすくすくと育ってよい子に育った。
サビ1:青年になった桃太郎は鬼を退治しに行くと言い出した。
    きび団子を持って家を出た!

Aメロ3:桃太郎はサル、キジ、犬を家来にした。
Bメロ3:鬼が島に辿り着いた。
サビ2:さぁ鬼と対決!!鬼をやっつけた!!
(ギターソロ)
Cメロ:鬼は反省し、今まで奪った宝を桃太郎に差し出した。
サビ3:桃太郎は村に帰り、村人に宝を分け与えた。偉い!!
アウトロ:3人は仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし。

これが直線的アルゴリズムで表現した桃太郎である。
リフレクションや主題の強調は行われていない。
サビは3箇所ありそれぞれ別の場面を描いている。
「勧善懲悪」というテーマは「聴き終わった後」に聞き手が
導きだすべきテーマ(プログラムの目的)であり
詞の中に「勧善懲悪」というテーマは登場しない。
いわゆる「クライアントサイドプログラム」に例えることができる。

我々はこの物語の筋書きを記憶し、人生のどこかしこで
何度か耳にすることで(=リフレクション)
桃太郎=勧善懲悪の物語、と捕らえているのである。
つまりこの詞は「CD向き」であると言える。

では、男性的な「主題繰り返しのアルゴリズム」である。
基本は「if=もし完全に理解していない可能性がある場合;もう一度主張する」
というのが随所に組み込まれたプログラムだ。
音楽性にもよるが今回はロックを想定しているためややクドい。
Aメロ1:爺さんと婆さんが住んでいて芝刈りと洗濯にいった。
Bメロ1:川上から桃がドンブラコと流れてきたので持ち帰った。
サビ1:桃から生まれた桃太郎!悪を懲らしめ善を成す、
        それが男の生きる道!!
Aメロ2:桃太郎はすくすくと育ちよい子になった。
Bメロ2:そのころ村では鬼が暴れて悪さばかりしていた。
サビ2:桃から生まれた桃太郎!悪を懲らしめ善を成す、
        それが男の生きる道!!

Aメロ3:桃太郎はきび団子を持って鬼退治に出かけた。
Bメロ3:途中サル、キジ、犬を家来にした。さぁいくぞ!
サビ3:桃から生まれた桃太郎!悪を懲らしめ善を成す、
       それが男の生きる道!!

(ギターソロ)
Cメロ:鬼が島に上陸した桃太郎、鬼をやっつけた!
サビ4:桃から生まれた桃太郎!悪を懲らしめ善を成す、
       それが男の生きる道!!

サビ5:桃から生まれた桃太郎!悪を懲らしめ善を成す、
       それが男の生きる道!!

アウトロ:鬼から奪った宝を村へ持ち帰り、親子3人仲良く暮らした。めでたしめでたし。

以上である。主題である「勧善懲悪」をリフレクションすることにより
強調している。Aメロ、Bメロは主題に至る動機付けや条件選択の項目に過ぎない。
今回サビ1は物語の流れより主題の主張を優先するために挿入している。
もう少しソフトな曲であれば間奏に替えても主題の主張は変わらない。
コレは、いわゆる「サーバーサイドプログラム」であり、これはライブ向きである。

現在我々は音楽を録音し、繰り返し聞いているが
本来目の前で演奏される音楽は「不特定多数に対する一過性」のものであり
全く同じ演奏を繰り返し聴く、というのは単なるテクノロジーの進歩が
産んだ利便性で音楽そのものの本質を変えるものではない。
演奏する側と聞く側は決してUSB2.0で接続されているわけではなく、
2進数に変換され情報伝達の確実性が図られるわけでもない。
空気の振動と視覚情報によってのみこの情報処理はなされる。
デジタルミュージックももう一度アナログに変換されて鼓膜を経て
また電気信号に変換される。話しかけるだけで阻害できる程度の情報伝達なのだ。
聞き手の集中力や音響も考慮するとそのプログラムを
一度のローディング(聴くという行為)で完全に実行することは不可能に近い。
私は音楽とはバグ前提の情報処理方式だと認識している。
広義での「ピープルズ・ミュージック」は文化的土壌の上で進化したものであり、
いくらグローバリズムが顕著な時代になったとはいえ、
聴き手の精神は後天的にグローバルなだけで
決して先天的にグローバル化しているわけではない。
また対外的に受け入れを要求される概念のうち初見の概念に対しての
「脳内グローバリズム」の根源は数百年で
そう簡単に進化したり変化したりするわけではない。
我々は地理的、文化的、人種的、個人的に隔てられた存在で
テレパシーも使えないしスタンド能力も基本的には常用化するに至っていない。
だから音楽にはRIFF=REFLECTION(繰り返し)があり、
曲名をしつこく歌ったりポイントで強調したりするわけである。
本来の「イントロ」もサビと言う名の「主題」へのメタファー(暗示)であり
リフレクションの一種として役割を担っているものだ。

さて、ここで我々Luvspreamに突きつけられている命題として、
Luvspreamの音楽自体は非常にプライベート性が高くCD向きである、という点がある。
つまり女性的アルゴリズムによる作詞は有効なのであるが
曲構成はまさにロックのそれであり活動がライブのみである、という点も大きい。
これをコントロールすることは私の次の目標である。

つまりこの文章の主題は、
一生懸命やってるからライブ見に来てね~♪
っということなのである・・・えへっ。

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