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Showing 松蔭

「私は三十歳で生を終わろうとしている。

未だ一つも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、
これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、
実をつけなかったことに似ているから、惜しむべきことなのかもしれない。

だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのであろう。
なぜなら、人の寿命には定まりがない。
農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。

人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。
十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。
二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、
五十、百歳にも自ずから四季がある。

十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。
百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、
いずれも天寿に達することにはならない。

私は三十歳、四季はすでに備わっており、
花を咲かせ、実をつけているはずである。
それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。

もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、
それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、
穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。

同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。」

今日NHKでやってた吉田松陰の辞世の句みたいなもんらしいが、
齢30歳の俺にはなかなか考えさせられたね。

納得できんな。もっと悔しがらんかい。見苦しく泣き言と恨み節を叫ばんかい。
10だろうが30だろうがこれは天寿であって、
私は四季を全うしたんだってちょっと諦めにも似た考えは
現代じゃ自殺するときのいい辞世の句になりそうじゃないか。
最近じゃ「くっそー、オマエ絶対化けて出てやるからなコノヤロー!!」
くらいのがいいんじゃないか。

明日おっ死ぬかもしれんから今日振り絞れという
解釈に繋がりゃいいけどね。

松蔭、貴様若いな。
まぁ、頑張ろうとは思ったねー。

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